大垣山岳協会

門入と丹生の物語 ④

TOPICS・随想・コラム

月報「わっぱ」 2012年12月(No.373)

≪ 弘法穴とコウモリ穴 ≫

 往古、ホハレ峠から丹生氏が移住したと思われる門入の奥山に二つの朱砂(水銀)鉱床の跡が残っている。一つは西谷の支流入谷(丹生谷の宛字)を遡り、蔵ヶ谷が出合う右岸にあり、その採掘跡はコウモリ穴と呼ばれている。つい20年程前まで根尾村(現岐阜県本巣市)のW氏が家族住み込みで採掘していた。もう一つは西谷の支流の茂津谷上部にある弘法穴だ。これも40年程前まで岐阜県養老町のH氏が採鉱していた。

 二つの「穴」からは戦後間もない頃、専門学者らの調査で高濃度の水銀含有が証明された。また、弘法穴の下流に「タンドガヒラ」の地名が残るが、おそらく「丹土ヶ平」ではないか。丹は朱砂を示す。さらに、朱砂鉱石採取に絡んだと思われる地名は門入近隣の黒谷赤河原、コビクラ谷の赤倉、また西谷下流の赤垂や赤土峠など幾つか残っている。

 以上のように朱砂鉱床の存在を示す科学的根拠はあるのだが、丹生一族など採掘に当たった人々の活動を示す史料はまったく見つかっていない。

 江戸時代の初期、名古屋城築城の際、門入から朱砂を供出したという説話が旧集落に残っていたという。だが、誰がいつ、どれくらいの量を出したのか、を示す資料はない。鉱山採掘という大がかりな事業活動に人の気配がうかがえない。不思議なことだ。

(丹生 統司)


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