大垣山岳協会

山書巡歴 ⑥ 「ソバコマタ」か「ソバク又」か

TOPICS・随想・コラム

月報「わっぱ」 2012年9月(No.370)

山書巡歴 ⑥ 「ソバコマタ」か「ソバク又」か

 「わっぱ」8月号の山行案内で、金草岳にかかる「ソバク又」谷を遡行する計画が載っている。この谷名にはいささかひっかかるものがあるので、調べてみた。

 なるほど、国土地理院の5万図を見ると、昭和63年2月版から「ソバク又」と記されているが、それ以前の版には谷名は書かれていない。

 そこで、山書を調べてみた。戦前戦後を通じてこの山域に足繁く踏み込んだ岐阜高等農林学校やその後身の岐阜大学山岳部が出した部報No.2やNo.6に掲載された概念図、奥美濃教徒必読の書、「樹林の山旅」(森本次男、昭和15年刊)、「秘境奥美濃の山旅」(芝村文治、昭和47年刊)、地方史の泰斗、高橋俊示編纂の大冊「ふるさとの地名」(揖斐郡教育会、平成4年刊)、字別に詳細な地名を採取した「美濃徳山の地名」(水資源機構、平成9年刊)などではすべて「ソバコマタ」と書いている。

 以上から考えると「ソバコマタ」が正しく、国土地理院発行の地形図では地名採取の段階で「コ」を「ク」と誤ったと思うしかない。名の意味については、ソバ栽培の焼き畑のあった小さな谷などが考えられるが、いまだ有効な資料や情報に接していない。

 なお、戦前の岐阜高農時代には「雷鳥」という部報が3号まで出ているが、この山域の谷名の記載はなかった。

(高木泰)

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