大垣山岳協会

門入と丹生の物語 ①

TOPICS・随想・コラム

月報「わっぱ」 2012年9月(No.370)

≪ 門入と丹生氏 ≫

 旧徳山村門入かどにゅう地区は不動山や千回沢せんがさわ山・烏帽子山・美濃俣みのまたまるなど奥美濃の秘峰への登山口だ。わが会もこの地を拠点に実りある山行を重ねてきた。その門入は2006年徳山ダムの出現で陸の孤島となり、車で入れなくなった。門入山系は断ち難い魅力をもっている。私はその後2度、歩いてホハレ峠を越えて門入を訪れ、不動山や三周ヶ岳に登った。

 門入の集落跡を往復した際、この一帯に古代からあったという水銀鉱山跡の存在が心底に厚く積もった。私の姓「丹生(にゅう)」は、水銀朱、つまり朱(す)砂(さ)を採掘、精製を専門とする技術集団として古代に発生したという。丹(に)(朱砂)を生むという意味である。私の出身地、大分県には120戸余りの丹生姓があるようだが、わが先祖が朱砂採掘に関係した氏族の出身であるかどうかはもちろん不明だ。だが、門入と私はどこかでつながっているように思えた。

 朱砂は辰砂(しんしゃ)ともいい、硫化水銀のことだ。『魏志倭人伝』によれば、卑弥呼は銅鏡100枚と共に、朱砂を下賜された。朱砂は当時三角縁神獣鏡と同じ下賜品に使用されるほど貴重だった。金と同じほどの価値を持ち、朱色の色彩は神秘性や呪術性を演出、祭祀に欠かせなかったようだ。
古代、門入は「壬生」と呼ばれ、室町時代には「門丹生」と書かれた歴史資料がある。古代、中世、門入に水銀鉱床があり丹生氏が住んでいた痕跡が垣間見える。

 『丹生の研究』の著者松田寿男氏は丹生氏の起源地は紀伊の紀の川沿い、大和の国中宇陀地方としている。では丹生氏と門入はどのように結びつくのだろうか。推論を立てて、水銀鉱山を巡る門入の古代を探ってみたい。

(丹生 統司)


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