大垣山岳協会

針ノ木岳試登 2012.05.13

針ノ木岳

月報「わっぱ」 2012年6月(No.367)

【 山スキー 】 針ノ木岳試登 ( 2820.6m Ⅲ△ ) 杉本 眞次

  • 日程:2012年5月12日(土)~ 13日(日)
  • 参加者:(山スキー)杉本眞、佐竹良、古林定、(ツボ足)柴田悦、後藤友、竹森せ
  • 行程:
    • 5月12日(土) 岐南町役場20:30-扇沢駐車場 13日0:15(テント泊)
    • 5月13日(日) 扇沢駐車場5:45-大沢小屋6:50~7:05-ノド8:20-約2400m地点9:30~10:55-大沢小屋11:30-扇沢駐車場12:45
  • 地理院地図 2.5万図:黒部湖

 針ノ木岳への春スキー山行は、中止した昨年以来の雪辱となる。目指す針ノ木大雪渓─針ノ木峠は、戦国時代の富山城城主、佐々成政が豊臣秀吉に追われ徳川家康に援軍を請うために厳冬期に越えたルート。その苦闘の跡を追ってみたかった。

 前日真夜中に大町市の扇沢の駐車場に着き、片隅でテント泊。翌朝、雲ひとつない快晴である。身支度を整えて、山スキー組3人、ツボ足組3人の、計6人の混成部隊は出発した。

 地元の人の話では、今年2、3月大雪が降り続いたが、4月に入ってからの晴天と気温の上昇により一気に雪解けが進み、今は例年より少ないとのこと、しかし、山の上を見上げれば結構な雪の量である。

 しばらくは沢沿いの林道を横切りながら進み、デブリで埋め尽くされた谷を右岸にわたる頃には、雪の量はかなり増えてきた。何度目かの堰堤を越え左岸の少し高台にある大沢小屋着。小屋は開いていたが、本営業はまだ先で、今は予約者限定で開いているという。

 大沢小屋には小屋の創始者である百瀬慎太郎の「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」のレリーフがあるはずだが、深い雪の下に隠れていた。

 ここからスキー組はシールをつけてスキー登高する。大沢小屋を過ぎるといよいよ針ノ木雪渓だ。デブリの跡がひどくて、斜面はデコボコだ。そこで、比較的デコボコの少ない右岸よりを上がる。気温が上がり、雪崩が怖かったが、亀裂などの兆候はなく大丈夫だろう。

 ツボ足組は快晴の雪渓をひたすら汗まみれになりながら登っている。通称ノドと呼ばれている谷の幅の狭くなった所を過ぎると少し傾斜がゆるくなり休憩。(写真=標高2200㍍あたりで、針木岳は正面奧で見えない)振り返ると鹿島槍の双耳峰が雪をつけて白く輝いていた。

 針ノ木峠を見上げると幅がぐんと狭くなり猛烈な急登だ。針ノ木岳の右手のマヤクボ(クボは窪地のこと)のカールを見ると少し傾斜がゆるく、登っている人も多いので当初の予定を変更してカールを登ることにする。

 しかし進むと斜面はきつくなる一方。前夜の疲れがまだ残っているのか足がなかなか前に出ない。標高2400mを越えた辺りで今回はココまでと決め引き返すことにした。這松が顔をのぞかせている所で春山の輝きを堪能しながら早めの昼食。とにかく乾杯だ。

 そして今日のハイライトである滑降である。ツボ足組はスキー組が身支度しているうちに、軽快に下り姿がすぐ消えた。滑り出しは慎重に、そして大胆に、程よいザラメ雪で各自思い思いに下る。ツボ足組がは脱兎のごとく下がっていくのが見えた。大沢小屋で合流し一息入れて帰りは林道沿いに顔を出しているフキノトウを摘みながら下った。成政の峠越えの苦闘が信じられないような春ののどかな雪渓山行だった。

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