大垣山岳協会

願教寺山、よも太郎山 2012.04.07-08

よも太郎山

月報「わっぱ」 2012年5月(No.366)

【 雪上技術講習会 】 願教寺山 ( 1690.9m Ⅲ△ )、よも太郎山 ( 1581m △なし ) 北川 洋一

  • 日程:2012年4月7日(土) ~ 8日(日)
  • 参加者:佐竹良、近藤初、藤森ふ、杉本誠、林旬子、小林和、北川洋
  • 行程:
    • 4月7日(土) 大垣5:00=東海北陸道・白鳥IC=白山中居神社駐車場7:30-初河谷出合8:45-笠羽谷出合12:00-テント場13:05
    • 4月8日(日)  テント場6:35-願教寺山9:30-よも太郎山12:15-テント場13:00~50-倉谷出合15:25-神社駐車場16:50=大垣
  • 地理院地図 2.5万図:願教寺山

4月7日(土)

 白鳥ICを下りるとまだ冬の気配。積雪の桧峠を慎重に下り中居神社駐車場に無事到着。天気は、吹雪いたり晴れ間が出たり初日は不安定な一日だった。大杉林道は“石徹白大杉”登山口の先、地図上のS字カーブ迄除雪されたようだが、新たに20cm程の積雪、倉谷出合でさらに深くなり、輪かんを着けた。
 カウレ大滝を見下ろす左岸の道は大雪と落雪で埋まり、急傾斜の雪面を緊張のトラバース。笠羽谷に架かる橋とスノーブリッジを渡り右岸へ、僅かに高巻きをした先でテントを張った。ブナ林の広がる源流帯。気持ちの安らぐ別天地だった。先ず輪かんを付けたまま踏み固め、次は登山靴、更に窪み、傾斜を佐竹リーダーの指示で修正した。雪は比較的に締まっていて作業はスムーズに済んだ。飲料用の雪の採取では、下層の方が水分の多いことを教わった。

 早朝のスタート、重荷の行軍で疲れた体に夕食時のささやかな飲酒の回りは早くかつ心地よい。19時頃消灯したが、私は花粉症のためか一晩中鼻つまり。“イビキ”を掻いたかも。皆さん、ご免なさい。

4月8日(日)

 天候は前日とは打って変わり快晴。輪かんを着け出発。願教寺谷対岸への渡渉は豊富な残雪でどこでも渡れた。願教寺山から南東に延びる1405mピークのある尾根に取り付く。

 右に銚子ヶ峰を見る頃には眺望も広がり左には1669mの日岸山、願教寺山頂は南に大きく張り出した雪庇が高波のようにうねって見えた。直前のピークで輪かんからアイゼンに換えたが、本峰直下(写真①=県境尾根東側から写す。山頂は雪庇の奥)では膝までのツボ足に切り替えて願教寺山頂到達。

写真①

 山頂は思っていた程の広さはなく、北に緩く雪の斜面であった。岐阜県側の平地状とは異なり福井県側は激しく切れ落ちている。真っ青な空、白銀の峰々。疲れが一気に吹っ飛ぶ瞬間だ。北に別山、白山御前ケ峰、左回りに大長、赤兎、経ヶ岳、荒島岳の先には能郷白山も見えた。感動のうちに万歳三唱を済ませ次の頂き、よも太郎山へ向けて雪庇を突き破り思い思いに急斜面を下った。

 最低鞍部の氷化した斜面で佐竹さん指導のもと、滑落停止の訓練をした。よも太郎山山頂では、今朝方スキーで薙刀山経由で登ってきた平木勤さんも合流、二度目のバンザイ。この山は地元、石徹白では土吹山(つちふきやま)と呼ばれている、と郷土史家の上村俊邦さんの「白鳥ふる里の山」にあった。春先に日本海側からの季節風で吹き上がる砂で残雪が赤茶色に染まる山なので、付いた名だという。雪庇下の風下で大休止。東側の斜面は日に照らされ暑いくらいだ。振り返ると願教寺山の南西面は大きく崩壊し黒々とした岩壁を見せている。昭和36年8月の北美濃地震はこの辺りが震源で、その時にできた崩壊なのであろう。

 休憩後、県境尾根を少し南下してから東に伸びる尾根を一気に下る。テント撤収後、大杉林道を延々と歩く。快晴の天気で雪融けは早く、下るにつれ路面が出てきた。帰路の途中立ち寄った桧峠の“満天の湯“で汗を流し寛いでいると、小白山の背後に落日の赤い陽光が輝いていた。

<ルート図>

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